南大阪 中学受験地図

堺市北野田にある航路開拓舎の日常と、南大阪を中心に中学受験の状況と、それに関する気になる話題を取り上げます。

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◎  集中力がない?…はずは無い!? 

授業を終わったときの最高のほめ言葉は、「あれ?もう終わりなん?」という一言。
この言葉を聴いたときは、こちらも充実感でいっぱいになります。
つまり、「時を忘れる」ほど集中していてくれたわけです。

私たちも、そういった体験をすることがあります。
映画を見たとき、小説を読むとき、好きなアーチストのライブを見るとき…。
「もう、終わりなんや」という感覚になった体験は、誰でもお持ちでしょう。
そんなときって、本当に集中しているときですよね。

では、子どもたちにはそういった感覚があるのでしょうか。
当然、あります。
皆さんも経験されていると思いますが、むしろ、子ども時のほうがそういった体験をしやすい。
私は、テレビであるマンガを見ているときに、「もう終わり?」という感覚を味わったことをきわめて鮮明に覚えています。
幼稚園のときでした。

そう考えると、どうやら、集中力は「ある」「無い」というわけではなさそうです。
お子さんのことを考えてみてください。
ゲームをしているとき、テレビを見ているとき、本を読んでいるとき、サッカーをしているとき…。
集中している瞬間がありますよね。

さて、では、その集中力を、どのように勉強に振り分ければいいのでしょう…。



(つづく)
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◎  集中力がない?…はずは無い!① 

授業を終わったときの最高のほめ言葉は、「あれ?もう終わりなん?」という一言。
この言葉を聴いたときは、こちらも充実感でいっぱいになります。
つまり、「時を忘れる」ほど集中していてくれたわけです。

私たちも、そういった体験をすることがあります。
映画を見たとき、小説を読むとき、好きなアーチストのライブを見るとき…。
「もう、終わりなんや」という感覚になった体験は、誰でもお持ちでしょう。
そんなときって、本当に集中しているときですよね。

では、子どもたちにはそういった感覚があるのでしょうか。
当然、あります。
皆さんも経験されていると思いますが、むしろ、子ども時のほうがそういった体験をしやすい。
私は、テレビであるマンガを見ているときに、「もう終わり?」という感覚を味わったことをきわめて鮮明に覚えています。
幼稚園のときでした。

そう考えると、どうやら、集中力は「ある」「無い」というわけではなさそうです。
お子さんのことを考えてみてください。
ゲームをしているとき、テレビを見ているとき、本を読んでいるとき、サッカーをしているとき…。
集中している瞬間がありますよね。

さて、では、その集中力を、どのように勉強に振り分ければいいのでしょう…。



(つづく)

◎  子どもの失敗に向かい合う 

お子さんと勉強していると、必ず、失敗に立ち会うことになります。
それは、計算のミスであったり、文章題の間違いであったり、記憶ちがいや時には記憶喪失まで…。
習ったはずなのに、忘れていたり、出来ていたのに、出来なくなっていたり。
小学生の勉強は、子供だけがするわけではありませんから、その都度、保護者の方の対応が必要になります。

「なにしてんの!この間、やったやないの!」
「前に出てきた問題やのに、忘れたんか?」
「ちゃんと書けへんから、間違うんや」
「なんで、きれいに書かれへんの?」

なんだか、こんなセリフなら、いくつでも出てきそうですね。

これらの発言に共通するのは、「間違い」=「悪」とでもいえるほどの、否定的な雰囲気です。
しかし、「間違いの発生」は、学力をより強固なものにするための「好機」なのです。

私も、このBlogを書くときは、下書き→チェック→清書→チェック→エントリーという手順を踏んでいます。
さらに、実際に自分のBlogを見て、書き直すときもあります。
それでも、明らかな漢字の間違いなどがあり、今でも、自分の母親から指摘されたりしています。
しかし、間違いを訂正してゆくことによって、より良いものになっていくわけです。(おそらく、私の場合でも…)
皆さんが、改まった気持ちで手紙を書くときなどもそうではありませんか。
間違いを発見して、「ほっ」とすることはありませんか。

実は、お子さんの勉強でも、まったく、同じことが言えるのです。
間違いがあれば、当然、それを修正すればいいのです。
たとえば、計算問題をしているときに、計算の間違いをした。
やり直せばいいのです。
簡単な、ミスであれば、すぐに修正できるでしょう。
しかし、もし、前学年の内容など、以前に学習した内容が未習熟だということがわかったら、それこそ、勉強の好機到来です。
なぜなら、間違いの原因がわかったわけですし、勉強の方針も立つからです。

そして、お子さんにも、「間違ってよかったね」といってあげてください。
「弱点がわかったやん!」
「出来てへんところがわかってよかったなぁ」」
「ここで、つまづいてたんやね。そこから、やりなおそか!」


ここで、注意!

間違いが「好機」とはいうものの、入試での間違いはしないほうがいいわけです。
けれども、入試は、普段の勉強=入試に備えるための勉強≒実力を伸ばすための勉強と、性質が違いますね。
実際に、合否を意識しだすと、その違いははっきりとわかってきます。
最終的には「間違うことの出来ない厳しい状態」にならざるを得ないのが入試です。
しかし、いつでも、そのテンションでは、伸びるところも伸びなくなります。

そうはいっても、なかなか実行は難しいかもしれません。
少しでもヒントになりましたら幸いです。

◎  子どもの失敗に向かい合う 

お子さんと勉強していると、必ず、失敗に立ち会うことになります。
それは、計算のミスであったり、文章題の間違いであったり、記憶ちがいや時には記憶喪失まで…。
習ったはずなのに、忘れていたり、出来ていたのに、出来なくなっていたり。
小学生の勉強は、子供だけがするわけではありませんから、その都度、保護者の方の対応が必要になります。

「なにしてんの!この間、やったやないの!」
「前に出てきた問題やのに、忘れたんか?」
「ちゃんと書けへんから、間違うんや」
「なんで、きれいに書かれへんの?」

なんだか、こんなセリフなら、いくつでも出てきそうですね。

これらの発言に共通するのは、「間違い」=「悪」とでもいえるほどの、否定的な雰囲気です。
しかし、「間違いの発生」は、学力をより強固なものにするための「好機」なのです。

私も、このBlogを書くときは、下書き→チェック→清書→チェック→エントリーという手順を踏んでいます。
さらに、実際に自分のBlogを見て、書き直すときもあります。
それでも、明らかな漢字の間違いなどがあり、今でも、自分の母親から指摘されたりしています。
しかし、間違いを訂正してゆくことによって、より良いものになっていくわけです。(おそらく、私の場合でも…)
皆さんが、改まった気持ちで手紙を書くときなどもそうではありませんか。
間違いを発見して、「ほっ」とすることはありませんか。

実は、お子さんの勉強でも、まったく、同じことが言えるのです。
間違いがあれば、当然、それを修正すればいいのです。
たとえば、計算問題をしているときに、計算の間違いをした。
やり直せばいいのです。
簡単な、ミスであれば、すぐに修正できるでしょう。
しかし、もし、前学年の内容など、以前に学習した内容が未習熟だということがわかったら、それこそ、勉強の好機到来です。
なぜなら、間違いの原因がわかったわけですし、勉強の方針も立つからです。

そして、お子さんにも、「間違ってよかったね」といってあげてください。
「弱点がわかったやん!」
「出来てへんところがわかってよかったなぁ」」
「ここで、つまづいてたんやね。そこから、やりなおそか!」


ここで、注意!

間違いが「好機」とはいうものの、入試での間違いはしないほうがいいわけです。
けれども、入試は、普段の勉強=入試に備えるための勉強≒実力を伸ばすための勉強と、性質が違いますね。
実際に、合否を意識しだすと、その違いははっきりとわかってきます。
最終的には「間違うことの出来ない厳しい状態」にならざるを得ないのが入試です。
しかし、いつでも、そのテンションでは、伸びるところも伸びなくなります。

そうはいっても、なかなか実行は難しいかもしれません。
少しでもヒントになりましたら幸いです。

◎  勉強の基礎体力(1):板書を写す力・ノートを作る力? 

前回のエントリーでは、ずいぶん、大きなことを申し上げましたが、結局、私たちとしては、「今日教えたこと」をきちんと理解し、保存しておいてもらわなければ、単純に「困る」立場にあります。
ですから、まず、板書を写すことの必要性を説明し、その方法を出来るだけ指導します。

一度でも、板書が役立つ機会があると、子どもたちにも、その重要性が実感されます。
テストの前に見直したとか、宿題をするときに調べることが出来たとか、そういった体験が必要です。

また、ノートにも役割を持たせる、あるいは分担させる必要があります。
具体的には、「捨てるノート」と「残すノート」を分けること。
「捨てるノート」とは、漢字の練習をするためのノートや、計算演習をするためのノートです。
場合によっては、宿題をするためのノートがここに含まれます。
あるいは、やり直しをするノートを含めてもいいかもしれません。
メモ的な使い方をしたり、計算用紙的な使い方をするノートです。

「残すノート」とは、授業での板書を書いたノート。
授業中の演習が書いてあってもかまいません。
あるいは、習ったことをまとめたノートなども、当然「残す」ことになります。

中学受験では、その演習量が成果に直結する場合もあり、豊富な演習量が要求されますので、こういった区別をしておくと良いでしょう。

こうして、「残す」「捨てる」を明確にすることで、「残す」=「自分にとって必要な内容が書いてあるノート」という自覚をもってもらえればいいのです。

毎日の学習記録としても重要なノート。
一生懸命、書き、参考にした何冊ものノートを積み上げて、「こんだけ勉強したから…」と実感できる日が、かならず、くるはずです。

◎  勉強の基礎体力(1):板書を写す力・ノートを作る力② 

前回のエントリーでは、ずいぶん、大きなことを申し上げましたが、結局、私たちとしては、「今日教えたこと」をきちんと理解し、保存しておいてもらわなければ、単純に「困る」立場にあります。
ですから、まず、板書を写すことの必要性を説明し、その方法を出来るだけ指導します。

一度でも、板書が役立つ機会があると、子どもたちにも、その重要性が実感されます。
テストの前に見直したとか、宿題をするときに調べることが出来たとか、そういった体験が必要です。

また、ノートにも役割を持たせる、あるいは分担させる必要があります。
具体的には、「捨てるノート」と「残すノート」を分けること。
「捨てるノート」とは、漢字の練習をするためのノートや、計算演習をするためのノートです。
場合によっては、宿題をするためのノートがここに含まれます。
あるいは、やり直しをするノートを含めてもいいかもしれません。
メモ的な使い方をしたり、計算用紙的な使い方をするノートです。

「残すノート」とは、授業での板書を書いたノート。
授業中の演習が書いてあってもかまいません。
あるいは、習ったことをまとめたノートなども、当然「残す」ことになります。

中学受験では、その演習量が成果に直結する場合もあり、豊富な演習量が要求されますので、こういった区別をしておくと良いでしょう。

こうして、「残す」「捨てる」を明確にすることで、「残す」=「自分にとって必要な内容が書いてあるノート」という自覚をもってもらえればいいのです。

毎日の学習記録としても重要なノート。
一生懸命、書き、参考にした何冊ものノートを積み上げて、「こんだけ勉強したから…」と実感できる日が、かならず、くるはずです。

◎  勉強の基礎体力(1):板書を写す力・ノートを作る力? 

おかげさまで、この時期になると、何人かの生徒さんが入ってこられます。
私どもの塾では、授業の見学が出来ますので、何回か、授業を見てから、入塾される方もあります。
見学の間は、お客様ではなく、他の塾生と同じようにやっていただきますので、問題も解いてもらいますし、板書も写し、ノートも書いてもらいます。

しかし、ある時期から、何人かに一人は、ノートを持参せずに塾に来られることが増えてきました。
そのころは、事前の説明に盛り込まなくとも、まず、間違いなくノートを持ってきていただいていました。
現在は、事前の持ち物の中にノートも含んで説明しますので、そのようなことはなくなりましたが、こういった説明が必要なこと自体、以前では考えられないことでした。
確かに、プリントなどの演習を中心に行うところもありますので、ノートを使用しない塾もあるわけです。
でも、私たちは、「新しいことを、一から指導する」授業を実施しています。
そういった「授業」を受けるときに、ノートを持ってこないというのは、ちょっと考えられなかったのです。

さらに、最近増えてきたのは、「これはうつすんですか」という質問。
こちらとしては、必要なものをすべて板書に盛り込んでいるつもりなのに、書くかどうかを質問する生徒さんがあるのです。
また、雑であったり、不注意であったりというわけではないのに、板書の内容を適当に間引いて写す生徒さんもあります。
計算の途中の式を書かなかったり、私が授業中に作問して板書した問題を写さなかったり…。

あるいは、重要事項をあらわすために、赤や青などの色を使用しますが、生徒さんのノートを見ると、黒一色だったり…。

「板書力」「ノート作成力」といった言葉は聞いたことがありませんが、現実に、そういった力が失われています。
以前なら、当然、出来ていたレベルのことが出来なくなっている。

これらは結局、与えられた情報を自分にとって必要なものだと感じられてないことから起こっているように思います。
中学受験ということだけではなく、「学ぶ」ことの大切さが、あるいは必要性が、実感できていない。
かつて、学ぶこと、あるいは知識そのものが「よりよく生きるための重要な情報」であった時代がありました。
現在でも、それは変わりないはずです。
しかし、その獲得すべき「重要な情報」が「目の前にある」のに、今の子どもたちは、その実感が持てないのです。



(つづく)

◎  勉強の基礎体力(1):板書を写す力・ノートを作る力① 

おかげさまで、この時期になると、何人かの生徒さんが入ってこられます。
私どもの塾では、授業の見学が出来ますので、何回か、授業を見てから、入塾される方もあります。
見学の間は、お客様ではなく、他の塾生と同じようにやっていただきますので、問題も解いてもらいますし、板書も写し、ノートも書いてもらいます。

しかし、ある時期から、何人かに一人は、ノートを持参せずに塾に来られることが増えてきました。
そのころは、事前の説明に盛り込まなくとも、まず、間違いなくノートを持ってきていただいていました。
現在は、事前の持ち物の中にノートも含んで説明しますので、そのようなことはなくなりましたが、こういった説明が必要なこと自体、以前では考えられないことでした。
確かに、プリントなどの演習を中心に行うところもありますので、ノートを使用しない塾もあるわけです。
でも、私たちは、「新しいことを、一から指導する」授業を実施しています。
そういった「授業」を受けるときに、ノートを持ってこないというのは、ちょっと考えられなかったのです。

さらに、最近増えてきたのは、「これはうつすんですか」という質問。
こちらとしては、必要なものをすべて板書に盛り込んでいるつもりなのに、書くかどうかを質問する生徒さんがあるのです。
また、雑であったり、不注意であったりというわけではないのに、板書の内容を適当に間引いて写す生徒さんもあります。
計算の途中の式を書かなかったり、私が授業中に作問して板書した問題を写さなかったり…。

あるいは、重要事項をあらわすために、赤や青などの色を使用しますが、生徒さんのノートを見ると、黒一色だったり…。

「板書力」「ノート作成力」といった言葉は聞いたことがありませんが、現実に、そういった力が失われています。
以前なら、当然、出来ていたレベルのことが出来なくなっている。

これらは結局、与えられた情報を自分にとって必要なものだと感じられてないことから起こっているように思います。
中学受験ということだけではなく、「学ぶ」ことの大切さが、あるいは必要性が、実感できていない。
かつて、学ぶこと、あるいは知識そのものが「よりよく生きるための重要な情報」であった時代がありました。
現在でも、それは変わりないはずです。
しかし、その獲得すべき「重要な情報」が「目の前にある」のに、今の子どもたちは、その実感が持てないのです。



(つづく)

◎  中学受験ノススメ:その2 

国私立中学への進学を考えている方は、ほとんどの場合、その先にある大学進学を意識しておられるはずです。
仮に、友人関係など、勉強以外のことが中学受験の直接の動機であっても、やはり、6年間を過ごした後のことを考えないわけにはいきません。
人それぞれに比重の違いはあるでしょうが、やはり考えるところですね。

私どもの高校部で成功する大学受験生を見ていると、明らかにひとつのパターンがあります。
それは、「目標をきちんと設定できる」+「自己管理によって勉強できる」ということです。
中学受験では考えられませんが、やはり、大学受験になると、受験生本人のパーソナリティが大きく左右します。
また、大学受験のシステムそのものも大変複雑になっていますので、なかなか、親の出番が無いというのも実情です。

さて、では、私立中学に行くほうが大学受験に有利なのか、結局、本人の資質が問題であるならば、公立での大差ないのではないか、と考えてしまいますが、実際は、まったく違います。

まず、物理的な違い。
これは、単に勉強にかける時間のことですが、私学のほうが圧倒的に時間数が多い。
たとえば英語については、週6回〜8回程度の授業があります。
公立の2倍にはなりますね。
これを、ずっと続けていくのです。
また、学年が上がるにつれてコースが細分化され、必要な科目を多く、深く勉強できる環境が整ってきます。

次に、指導面。
大学進学への意識付けを考えてみると、やはり、私学のほうが丁寧です。
結局、私学の評価も、大学進学実績で左右される面もありますので、これは当然です。
また、大学進学についての資料や外部テストの分析なども、私学のほうが優れています。
とにかく、「大学へ持ち上げる」力を比べると、違うのです。

そして、生徒たちのモチベーションが違う。
結局、毎日の勉強や、先生たちの指導の結果、そうなるのですが、大学へ行こうという、気持ちに違いがあります。
特に、現役志向が強いのも私学の特徴でしょうか。
「公立に通っているから、1年くらい浪人してもいいねん」とは、学区トップ高に進学した、先輩の言葉。
こんなことをあっけらかんといえるのもすごいのですが。

もちろん、公立高校に進学しても、きちんと計画を立て、自分の目標を達成する方もおられます。
しかし、その時に、「学校がどれだけサポートしてくれたか」ということになると、やはり、「?」ということになります。

ただし、私立に合格したからといって、全員が意識を持って、そのまま大学に進学するわけではありません。
これも、一方の真実です。
ですから、まず、私学受験をするときは、「入学後に伸ばしてくれる」学校かどうかを吟味してください。
ある程度、厳しさを持って、励ましながら、あるいは、課題を与えながらでないと勉強が出来ない子どももいます。
そういった方を「自由な校風」の中に入れてはいけないのです。

お子さんのパーソナリティと、学校のパーソナリティ=校風や指導方針を、現実的に見比べながら、進学を考えていくのも、保護者の皆さんの大切な仕事です。

◎  中学受験ノススメ:その2 

国私立中学への進学を考えている方は、ほとんどの場合、その先にある大学進学を意識しておられるはずです。
仮に、友人関係など、勉強以外のことが中学受験の直接の動機であっても、やはり、6年間を過ごした後のことを考えないわけにはいきません。
人それぞれに比重の違いはあるでしょうが、やはり考えるところですね。

私どもの高校部で成功する大学受験生を見ていると、明らかにひとつのパターンがあります。
それは、「目標をきちんと設定できる」+「自己管理によって勉強できる」ということです。
中学受験では考えられませんが、やはり、大学受験になると、受験生本人のパーソナリティが大きく左右します。
また、大学受験のシステムそのものも大変複雑になっていますので、なかなか、親の出番が無いというのも実情です。

さて、では、私立中学に行くほうが大学受験に有利なのか、結局、本人の資質が問題であるならば、公立での大差ないのではないか、と考えてしまいますが、実際は、まったく違います。

まず、物理的な違い。
これは、単に勉強にかける時間のことですが、私学のほうが圧倒的に時間数が多い。
たとえば英語については、週6回~8回程度の授業があります。
公立の2倍にはなりますね。
これを、ずっと続けていくのです。
また、学年が上がるにつれてコースが細分化され、必要な科目を多く、深く勉強できる環境が整ってきます。

次に、指導面。
大学進学への意識付けを考えてみると、やはり、私学のほうが丁寧です。
結局、私学の評価も、大学進学実績で左右される面もありますので、これは当然です。
また、大学進学についての資料や外部テストの分析なども、私学のほうが優れています。
とにかく、「大学へ持ち上げる」力を比べると、違うのです。

そして、生徒たちのモチベーションが違う。
結局、毎日の勉強や、先生たちの指導の結果、そうなるのですが、大学へ行こうという、気持ちに違いがあります。
特に、現役志向が強いのも私学の特徴でしょうか。
「公立に通っているから、1年くらい浪人してもいいねん」とは、学区トップ高に進学した、先輩の言葉。
こんなことをあっけらかんといえるのもすごいのですが。

もちろん、公立高校に進学しても、きちんと計画を立て、自分の目標を達成する方もおられます。
しかし、その時に、「学校がどれだけサポートしてくれたか」ということになると、やはり、「?」ということになります。

ただし、私立に合格したからといって、全員が意識を持って、そのまま大学に進学するわけではありません。
これも、一方の真実です。
ですから、まず、私学受験をするときは、「入学後に伸ばしてくれる」学校かどうかを吟味してください。
ある程度、厳しさを持って、励ましながら、あるいは、課題を与えながらでないと勉強が出来ない子どももいます。
そういった方を「自由な校風」の中に入れてはいけないのです。

お子さんのパーソナリティと、学校のパーソナリティ=校風や指導方針を、現実的に見比べながら、進学を考えていくのも、保護者の皆さんの大切な仕事です。

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